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105歳のお祝い
さだおばあちゃんの105歳の誕生のお祝いの会に、新潟の遠方からも多くの親族が駆けつけてくれました。

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ちなみに豊島区の最高齢は108歳とか・・・とりあえず、次は106歳だ。

先日、100歳の時に書いた原稿を週一回通っているデイサービスで練習もなく読み上げました。
マイクをもって素晴らしく読んでいました。下記がその原稿です。
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私の出生地は岐阜です。
昭和2年、16歳の時、看護婦を志して、友達と2人で上京し、結婚するまでの20年間、看護婦として働きました。聖路加病院では、今も現役の医者の日野原重明先生とも一緒でした。
後半の7年間は、一等看護婦として、横浜の4万坪という大邸宅で、脳溢血で倒れられた第一銀行の頭取ご夫妻の付添看護婦を務めました。当時、サラリーマンの月給は良い方でも30円でしたが、私たち一等看護婦は、48円という高給取りで、毎月デパートで高級品ばかり買って優雅な生活を送っていました。

 昭和20年、終戦を迎え35歳の時、私は従兄の世話で、11歳の子連れの夫と結婚しました。夫はフィリピンで終戦を迎え、復員して帰って来たものの、僅か4ヶ月で妻に病死され、子どもを連れての再婚となりました。

戦前の夫は、お兄さんと2人で、国際的にも有名な矢橋大理石店で働いており、今の国会議事堂の大理石の部分は此島兄弟が2百人余り連れて仕事をし、「天皇陛下の御便殿は俺がやった」という自慢話を後で何度も聞かされました。また社長に見込まれ、当時30万円という多額の研究費を国から与えられ、本物に見える大理石を作るよう言われました。お兄さんは、クロレラヤクルトをはじめ、多くの特許をもつ発明家で、2人は研究に没頭して、遂に待望のイミテーションマーブル(現在、広く使われているテラゾウという石)を造ることに成功しました。

結婚後も夫は兄といろいろな仕事をする中で、高級まんじゅうの機械を購入し、昭和28年、池袋の北口で東京まんじゅうの店を開店しました。当時は、配給の頃で、サッカリンを使ったお菓子が多かったのですが、我が家は闇で白砂糖を購入し、卵を豊富に使ったおまんじゅうなので「美味しい、美味しい」と忽ち評判になり、毎日行列が出来て、当時、普通のサラリーマンの給料が1万円にならないところを、一日4万円もの売り上げがありました。
しかし、その売り上げで同じ機械を買おうとして、何百万円も前金を投じて注文した処、まんまと詐欺に引っ掛かってしまいました。 しかし当時は、泣き寝入りするしかありませんでした。

次に始めたのが、かりんとうやさんです。当時は珍しかったので注文が殺到しました。しかし、それも集金の社員にお金を横領され倒産してしまいました。それまで要町3丁目交差点の脇に、230坪、29世帯の此島アパートを構えていた此島家でしたが、
全て失い、それからというもの、貧乏のどん底生活が始まったのです。

食べることにも事欠く状態で、一山10円の大根を買って、それがご飯兼おかずでした。夫の連れ子に加え、子どもが3人生まれ、4人になっておりましたが、ひもじい思いをさせる毎日でした。
私が、独身時代に買った沢山の高価な着物も、みんな質屋に流れ、全くのすってんてんになってしまったのです。

 何をやっても上手く行かず、今思えば、副運が尽きて、落ちる所まで落ちてしまったような状態でした。
短期で酒好きな夫は、大酒を飲んでは帰り、怒鳴り散らす有様で、将来を考えると
暗たんとして、心の中で何度離婚を考えたか分かりませんでした。長崎4丁目、千早2丁目、千早3丁目と移り住み、冬のような状態がしばらく続きました。

そんな折、我が家も人生の師匠とも言える戸田先生・池田先生と出会うことが出来ました。また多くの同志の皆様から「冬は必ず春となる」とさまざまな激励をいただく中で、私自身、明るく生きられるようになりました。
私は内向的で且つ消極的で、人前で話など出来る人間ではありませんでした。皆さんは、「うそでしょう!」と言いますが本当です。
けれども、あらゆる体験を通じて成長させていただき、いつしか自分も、人さまの幸せを祈れるような境涯にさせていただくことが出来ました。
 夫は、狭心症もあり、長生き出来ないと言われましたが、70歳まで生き、使命を全うして、安祥として逝きました。

現在、再び要町3丁目に戻り、お隣に緑のお庭が見える我が家に住むことが出来ました。ご近所の皆様、みんな良い方ばかりで、食事をしたり、お茶を飲んだりして仲良くさせていただいております。
 お陰さまで、私も、5月5日に百五歳となり、子どもや孫たちがお祝いをしてくれました。 心身共に健康で、感謝の毎日です。

人によっては、「どうせもう歳なんだから・・」とか「先が短いんだから」と悲観的になりがちですが、「百歳まで一緒に頑張りましょう」と固い握手をし、百歳同盟と名付けて、お一人お一人の健康とお幸せを毎日、祈って参りました。

あまり外に出ませんが、新聞でいろんな方の体験談を読み、感動の毎日です。
 これからも、生涯青年の気概で一日一日を大切にし、「私の人生は良かった」と言える最終章で有りますよう、まだまだ、これからも更に頑張って参ります。
以上が、私の半生の一端でございます。本日は、大変にありがとうございました。

    平成28年5月5日

さ だ
【2016/05/14 11:17】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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